駅別エリアガイド |
| 西から東へ 始 発 2008・平成20年1月より西へ延び「太秦天神川駅」が始発となりました。 |
| [二条駅] 新撰組屯所跡 四条通坊城下る・壬生寺の東側 |
| にじょう 西町奉行所跡 二条城の南西・千本通押小路西入 |
| 朱雀院跡 嵯峨天皇が譲位後の居所(後院)として使った離宮の一つ |
| 四条通を西へ、JR山陰線の高架をくぐって右辺り |
| 朱雀大路跡 千本通の押小路の北辺りから九条通辺りまで |
| 朱雀門跡 平安京の京域中央を朱雀大路(現千本通)が南北に走り北方の大内裏に |
| 通じていた 千本通押小路東入 |
| 二条城 徳川将軍上洛の際の居館として造つられたもの 世界文化遺産 |
| 大学寮跡 桓武天皇が設けた官吏養成の教育機関 二条城南西の押小路通を挟んで南側 |
| 大極殿跡 天皇の即位式や外国使節との謁見が行われた |
| 千本丸太町交差点西北辺り |
| 二条城撮影所跡 京都初の映画撮影所があった 日本映画の父といわれた牧野省三が |
| 尾上松之助と最初の作品「忠臣蔵」を撮った 二条城の南西 |
| 東町奉行所跡 二条城の南側、神泉苑の西側辺り |
| 壬生寺 春と秋に行われる壬生狂言は重要無形文化財 四条通坊城下る |
| 武信稲荷神社 境内に樹齢800年のエノキがあり、京都市の巨樹銘木に指定されている |
| 後院通六角東入 |
| 六角獄舎跡 幕末時代に多くの勤王の志士が拘禁された。また、山脇東洋が日本初の |
| 人体解剖を行った場所でもある 後院通六角東入 |
| 朱雀大路と平安京 京都が都として栄華を誇りはじめた平安時代、その中心であった |
| 大内裏は、現在の御所よりもずっと西、千本丸太町辺りにあった |
| 平安京は、この大内裏を北端に南北約 5.3km、東西約4.5kmに |
| わたって広がっていた |
| 現在の御所のある辺りは、当時は都の東北の隅にすぎなかったのである |
| 当初の平安京の南北の大動脈は、都の南端九条大路と大内裏を結ぶ |
| 朱雀大路 この通りを境に平安京は東西に分けられ、東を左京、西を |
| 右京とした |
| 朱雀大路が大内裏とぶつかったところには、大内裏の正面玄関ともいうべき |
| 朱雀門が設けられていた |
| それではなぜ、内裏が東に移されることになったのか |
| その理由の一つが火災である |
1177年4月に起こった「太郎焼亡」と呼ばれた大火は、12町もの土地を |
| 焼き尽くし、その被害は、大内裏に及んだのである |
| この時焼失した大極殿は、さらに続いた火災のため、再建されることなく衰え、 |
| 鎌倉時代には大内裏はあらかた廃絶してしまったのである |
| 貴族たちが行き交ったであろう朱雀門も、今はただ二条城の西に |
| その跡を残すのみ |
| 朱雀大路は、千本通と名を変え、大内裏の辺りは住宅地となっている |
| [二条城前駅] 旧本能寺跡 織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」があったのがここ |
| にじょうじょうまえ その後、秀吉の洛中改造により現在の寺町御池に移された |
| 六角通油小路 |
| 神泉苑 平安京最古の史跡 二条城南側 |
| 橘逸勢邸跡 三筆の一人 御池通堀川東入下る |
| 二条陣屋 京都仁本陣をもたない大名のための宿所。からくり造りで有名 |
| 御池通大宮下る(二条城南側) |
| 藤原基経邸跡 平安時代の初代関白 油小路通二条上る(二条城の東側) |
| 妙顕寺城跡 天正14年に聚楽第ができるまでの京都の政方があったところで |
| 古城町という町名はその名残押小路通油小路東入(押小路通は御池通の 一筋北の通り) |
| 若狭・小浜藩邸跡 徳川慶喜は、大政奉還のころここに住んでいた。 |
| 神泉苑通御池下る辺り |
| [烏丸御池駅] 足利尊氏邸跡 室町幕府発祥の地 高倉通御池下る |
| からすまおいけ 在原業平邸跡 平安時代の歌人(六歌仙、三十六歌仙の一人) |
| 御池通間之町角(御池通の南側) |
| 梅田雲濱邸跡 江戸末期の勤王家 烏丸通御池上る西側 |
| 大炊御門万里小路殿 白川法王の御所 富小路通夷川上る |
| 薩摩屋敷跡 高倉通錦小路下る |
| 茶屋四郎次郎屋敷跡 安土桃山時代の豪商、ルソン貿易で活躍 |
| 新町通蛸薬師辺り |
| 広野了頓邸宅跡 秀吉と親交のあった茶人 衣棚通三条下る |
| 堀野記念館 京仕込み・キンシ正宗発祥の地 堺町通二条上る |
| 六角堂(頂法寺 ) 京都の中央にあるとか、その形が似ているとかいわれている |
| 「へそ石」がある |
| 烏丸通六角東入 |
| [京都市役所前駅]池田屋跡 長州藩の尊じょう派二十数名がひそかに集まり、京都御所を焼討ちし |
| その騒ぎに紛れ天皇を長州へ奪い去る相談中に新撰組の急襲を受けた |
| 三条通河原町東入る北側 |
| 裏寺通 秀吉の都市政策により寺院をこの通りに南北に並べた |
| 四条河原町オーパの西玄関前から北へ |
| 加賀藩邸跡 御池通木屋町西 |
| 革道(こうどう) 天台宗延暦寺派西山33箇所の第19番府札所 寺号は行願寺 |
| 寺町通丸太町下る |
| 坂本龍馬暗殺の跡 河原町通蛸薬師上る西側 |
| 坂本龍馬寓居(海援隊京都本部)跡 坂本龍馬や海援隊の活動拠点 |
| 河原町通三条一筋南東入 |
| 佐久間象山寓居跡 幕末の兵法師、開国論を唱え公武合体につとめた |
| 木屋町通三条上る |
| 瑞泉寺 一族39名が斬殺された豊臣秀次一族を弔う |
| 木屋町通三条下る |
| 誠心院 恋愛歌人、和泉式部が初代の住職 |
| 新京極通六角下る東側 |
| 高瀬川一之舟入跡 角倉了以が開いた川で森鴎外の「高瀬舟」の舞台でも有名 |
| 木屋町通二条下る |
| 高瀬川には九つの舟入(船着場)があった |
| 現存するのはここのみ |
| 長州藩邸跡 河原町通御池上る京都ホテル前 |
| 土佐藩邸跡 木屋町通蛸薬師下る西側 |
| 二条富小路内裏跡 14世紀初めに花園天皇の内裏として拡張新造され |
| 後醍醐天皇もこの内裏で即位し建武の新政を行った |
| 富小路通二条上る西側 |
| 藤原定家京極邸跡 寺町通二条上る西側 |
| 法雲寺 男と女の縁を切る 河原町通二条上る東側 |
| 先斗町 京の五花街の一つ、ポルトガル語の「ポント」先端の意に由来するとか |
| 木屋町通と鴨川の間の幅一間の道(北の三条通から南の四条通まで) |
| 本能寺 秀吉の洛中改造によりこの地に移転、本能寺の変で焼失したのは |
| 油小路蛸薬師にあった旧寺 |
| 寺町通御池下る(京都市役所の南向かい) |
| 矢田寺 寺宝は矢田寺縁起2巻で、巨勢の筆であるといわれている |
寺町通三条上る東側 |
| 死者の霊を迷わず冥土へ送るために撞く「送り鐘」として有名 |
| [三条京阪駅] 出雲の阿国像 歌舞伎発祥300年を記念して建立、「阿国歌舞伎発祥地」と碑にあり |
| さんじょうけいはん 四条川端・南座前 |
| 恵美須神社 10日えびす・20日えびすで知られる 商売繁盛 交通安全に |
| ご利益のある神社 大和大路四条下る |
| 祇園新地甲部歌舞練場 祇園甲部の芸妓さんが華やかな「都をどり」を披露している |
| 花見小路四条下る お茶家さんのある処 |
| 祇園新橋 伝統的建造物群保存地区内にあり、独特の風情がある |
| 大和大路(繩手通ともいう)四条上る四筋目東入 |
| 建仁寺 京都五山の第三位で、京都最初の禅寺 花見小路四条下る |
| だん王法林寺 火災盗難除けの信仰で有名 三条京阪駅北側 |
| 古門前・新門前 美術商・古美術商が多く集まっている いろんなもんがおまっせ |
| 四条通東大路・八坂神社石段下より北へ四筋目と五筋目 |
| 南 座 日本で1番古い劇場 師走の顔見世興行は有名 |
| 四条京阪前・四条通川端南東角 |
| 宮川町歌舞練場 宮川町の芸妓さんによって「京をどり」を披露 |
| 古典をアレンジした感覚が現代的とか |
| 四条通川端・南座を下る東入 |
| 安井金比羅宮 交通安全守護の神 本殿東の絵馬館には貴重な絵馬が |
| 多く奉納されている 東大路通四条下る |
| 「東山駅」 おおくすの庭 青蓮院前の大きな楠の木のある庭 神宮道三条下る |
| ひがしやま 明智光秀首塚 白川の東畔、路地の奥に1m余の石碑があり |
| 首から上の病に悩むものは、この塚に祈ると |
| 霊験があるといわれている 三条通白川を南へすぐ |
| 粟田口の碑 昔、京の七口の一つに数えられ刀匠を多く生み |
| 数々の名が作られた 神宮道三条下る |
| 岡崎公園 明治37年(1904年)の内国勧業博覧会の跡地に |
| 造られた 平安神宮南あたり |
| 京都会館 京都の代表的なホール 主に音楽演奏会に使用され |
| 第一ホールと第二ホールとがある |
| 二条通神宮道西(平安神宮の南側) |
| 京都観世会館 観世流の能楽堂 5/6には野村狂言披きが公演される |
| 神宮道冷泉通西入 |
| 京都国立近代美術館 京都市美術館 京都みやこメツセ(勧業館) |
| 青蓮院 天台延暦寺派の門跡寺院の一つ 粟田御所とも呼ばれ |
| 旧仮御所として史跡に指定されている 神宮道三条下る |
| 市立円山音楽堂 広く市民に利用され、各種音楽会、集会が開催される |
| 知恩院 名匠左甚五郎が魔除けのためわざと置いたと伝えられる |
| 「忘れ傘」が有名 本堂正面東よりの屋根下にその骨だけが |
| 見える NHK大晦日の行く年来る年で毎年放映される |
| 除夜の鐘も有名 神宮道三条下る/円山公園八坂神社の北側 |
| 法然上人の御影を安置してある御影堂もある |
| 平安神宮 明治28年(1896年)平安遷都1100年を記念して創建された |
| 毎年10月22日に時代祭が行われる 神宮道二条上る |
| 円山公園 東山山麓の最も景勝の地を占める京都市最大の公園 |
| 桜の木がおおくあり毎年春には花見客で賑わう |
| 枝垂桜の夜桜見物は粋なもの |
| 八坂神社 祇園さんと呼ばれ、疫病除けの神さんとして有名 また、夏の |
| 祇園祭は、この神社の祭礼である 正門は南側です |
| 石段のある西門ではありません 西門の易者は有名 |
| 「蹴上駅」 粟田神社 青蓮院の鎮守社 粟田祭は粟田口一帯の祭礼 |
| けあげ 神輿のほか18本の剣鉾が氏子区内を巡行し壮観 |
| インクライン 疎水を運行した舟を貨車に載せて運んだ施設 |
| 永觀堂 古くからの桜の名所 |
| 京都市国際交流会館 市民間の国際交流の拠点 フリーマーケットもあります |
| 京都市動物園 明治36年4月開園の日本で2番目のもの 月曜休園 |
| 蹴上浄水場 疎水の水を上水に清浄している 五月のツツジは一見 |
| 蹴上発電所 わが国最初の水力発電所 第一琵琶湖疎水の付帯事業 |
| として建設された |
| 金地院 鶴亀の庭は、小堀遠州作の江戸時代初期の代表的な枯山水庭園 |
| 南禅寺 山門は石川五右衛門の伝説で有名 重文に指定されている |
| 南禅院 南禅寺の南側にある南禅寺の発祥の地 庭園は鎌倉期の池泉鑑賞式 |
| 南禅寺水路閣 よく映画、テレビなどのシーンに出てくるレンガ造りの橋脚で |
| 疎水の水が上を流れている |
| 野村美術館 茶道関係、能衣装、能面などに逸品が多い 月曜休館 |
| 琵琶湖疎水 疎水により水力発電所ができ、その電気で市電を走らせるなど |
| 産業振興の基礎となった |
| 疎水記念館 疎水建設に関する文献を展示 |
| 無鄰庵 明治から大正の元勲山県有朋の別荘 小川治兵衛作の庭園が有名 |
| 日露開戦について、いわゆる無鄰庵会議がおこなわれた |
| [御陵駅] 亀の水 江戸時代に峠を越える旅人ののどを潤すためにつくられた休憩所の跡 |
| みささぎ 亀の口からは今も清水が流れている 大石街道を南へ約450m |
| 旧東海道を西へ約100m行った南側 |
| 天智天皇陵日時計 陵墓地の参道にある 三条通を東へ約500m・北に入る |
| 天智天皇山科陵 中臣鎌足らとともに大化の改新を行った天智天皇の御陵 天皇は漏刻(水時計)をつくり時刻制度を定めたことでも有名 天皇が山科で昇天し、沓が置かれていた場所を御陵にしたと いう伝承があり、沓が置かれていたという御沓石がある 敷地内はとても静かで、まるで別世界にいるよう |
| たたら遺跡 古代に鉄を作っていた跡 天智天皇陵の疎水を挟んだ北側 |
| 本圀寺 加藤清正の廟や、豊臣秀吉の姉、日秀尼が寄進した大きな釣鐘がある |
| その他 琵琶湖疎水 妙応寺 |
[山科駅] 志賀直哉旧居跡碑 志賀直哉は約2年間山科に住み、その体験をもとに「山科の記憶」 |
| やましな 「瑣事」「痴情」などの作品を生み出した --駅より東南へ徒歩8分-- |
| 四宮地蔵 西光法師が京へつながる街道入口に六体の地蔵を安置したという |
| 廻り地蔵の一つ とても優しいお顔の地蔵像が安置されている |
| お堂の前には飛脚が水を飲んで休憩した跡がある |
| --駅より旧三条通を東へ徒歩8分-- |
| 十禅寺 十禅寺は仁明天皇の第四王子「人康(さねやす)親王の山荘を寺に |
| したもので、山荘の様子は「伊勢物語」にも記されている |
| 親王は病気の為に失明し、後に目の不自由な人たちによる芸能集団 |
| の祖神として崇められた --四宮地蔵の北側-- |
| 瑞光院 忠臣蔵で有名な浅野内匠頭の供養塔や義士の遺書・遺髪を納めた |
| 遺髪塚、義士の墓、大石良雄の歌碑などがある--駅より北東徒歩20分 |
| 双林院 夫婦和合・安産・子宝・財産の神として知られ、北側にある輪王寺宮墓 |
| への石段の両側に並ぶ石灯籠は見事 --瑞光院から更に北へ-- |
| 毘沙門堂 毘沙門天を奉り、本堂には家康像が安置され、毎年12月行われる義士 |
| まつりの行列の出発所である--瑞光院から更に北へ-- |
| 諸羽神社 天児屋根命(あめのこやねのみこと)と天太玉命(あめのふとだまのみこ |
| と)のニ神がまつられていることからもろは(両刃)となった 本殿の西に |
| は人康親王がそのうえで琵琶を弾いたという「琵琶石」がある |
| また、鳥居は、東海道新線開通(大正10年)の記念に建立された |
| --瑞光院への途中を東へ-- |
| [東野駅] 西本願寺山科別院 蓮如上人が自ら彫った像などが安置されている 明治5年、ここの |
| ひがしの 対面所を教室にして山科で初めての学校「東野校」(現山階小学校)が |
| 開校 |
| 東本願寺山科別院 長福寺と号す 山科本願寺の旧地に東本願寺内の長福寺を移転 |
| 山科本願寺跡 蓮如上人は寺院を中心に土塁と堀を幾重にも囲んだ大規模な寺内町 |
| を築いた 中央公園の土塁は、その東北の隅になる |
| 蓮如上人墓 本願寺第八世の蓮如上人は各地で活発な布教活動を行い、衰退していた |
| 本願寺の再興を果たす 墓は門と築地に囲まれた木立の中 |
| 蓮如上人御指図井 当時は、春の渇水期になるとどの家も井戸水が枯れた そこで蓮如上人 |
| は、この場所を指図して掘ると水が涌き出て、以後枯れたことがないとい |
| われている |
| [椥辻駅] 京都ゴルフ場跡 大正時代に京都で初めて造られたゴルフ場 戦争のため閉鎖 |
| なぎのつじ 今は住宅地となっいる |
| 椥辻のいわれ 昔、この地に梛(ナギ)の大木があり、四方からの目印になっていた |
| この木が地名の由来と言われている |
| [小野駅] 明智光秀の塚 山崎の合戦で秀吉に敗れた光秀は、敗走の中、小栗栖で竹槍で刺され |
| おの 最期を遂げた その光秀の胴を埋葬したのがこの塚と言われている |
| カヤの木 その昔、深草少将が小野小町を慕い何日も通い、小町はカヤの実でその |
| 日数をかぞえた 小野の里にまかれたその実が育ったのがこのカヤの木 |
| といわれている |
| 勧修寺 庭園は周囲の山をバックに広大な自然美を楽しむことができる |
| 特に、池の蓮は有名 庭に広がるように生えている樹齢750年のハイ |
| ビャクシンは、まるで絨毯を敷き詰めたようにみえる |
| 西向寺 寛永年間、清誉浄顕上人が念仏弘通の道場として建立した寺 |
| 随心院 美人として名高い小野小町が化粧をしたという井戸や、小町に寄せられた |
| ラブレターを埋めたという文塚などがある 紅梅の咲く三月下旬には、はね |
| ず(うす紅色)の衣装が鮮やかな「はねず踊り」が行われる |
| [醍醐駅] 阿以波川(合場川) 河畔で平 重衡が妻と別れを惜しんだという |
| だいご 明智薮跡 天王山で敗れ坂本城へ戻る途中、光秀はこの地で落命したといわれる |
| 醍醐寺 弘法大師の法孫「聖宝尊師」が874年に開祖した名刹 五重塔 金堂 |
| は国宝 世界文化遺産 |
| 醍醐天皇陵 宇多天皇の第一王子で、母は藤原胤子 菅原道真を登庸 |
| その他 西方寺・善願寺・長尾天満宮・日野誕生院・一音寺・法界寺・朱雀天皇陵 |
| [石田駅] |
| いしだ |
| [六地蔵駅] 終点 京阪電車・JR奈良線の「六地蔵駅」に連絡しています。 |
| ろくじぞう |
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